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【看板に偽りなし!】とはこのことか

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尾道の日常遺産「看板時計」/KanbanDokei


尾道の日常遺産「看板時計」/KanbanDokei
文化あるところには、必ずそれを享受する人々がいた。経済の力は、なかなか持続するものではないが、文化においては、「遊び心」という精神性がDNAに乗り移って、脈々と子々孫々に受け継がれて行くものらしい。
吾が猫族にも、そのことが当てはまるようで、尾道にいる猫も俄に衆目の的になりつつあるのだ。危なっかしい都会では猫は見られないということだが、ここ尾道では、のんびりしていて、人も歩けば猫に当たる。それも1匹や2匹ではない。道のあちこちに堂々と日向ぼっことシャレこんで、なにやら思索に耽っている。
そんな尾道だから、我輩のような「博学多識」の猫も存在し得るという訳なのだ。前置きはさておき、このたびは、そうした「遊び心」のある看板をご紹介したいと思っている。

千光寺公園に通じる山陽本線長江口ガードを潜って、ものの1〜2分北へ歩いていくと、右手頭上にハッとする看板が目玉に飛び込んでくる。時計屋さんには時計の看板は当り前の筈なのだが、何とこの大時計、正確に時を刻んでいる。梶山時計店のこの物件、実は1971年製の「看板」時計なのだ。ということは今年で25年間動き続けていることになる。初代の梶山正三さんの手作りのアンティクな品なのだ。
その原形はイギリス製のラッパ式蓄音機で、映写機や様々な部品を使って、変形、改良したものと言う。週に一度のネジ巻きで、今でも正確に時を刻んでいるのだ。それもそのはず、梶山時計店は、創業70年の時計修理店の老舗。かつては尾道の中心地であった中央桟橋の近くに開店、以来、現在地に移転してからは50年にもなるという。古い時計の修理は勿論お任せだ。明治時代の置時計の修理などの依頼もあるという。店内には懐かしさを感じるそんな時計達が壁に掛けられている。『修理は安くしときますよ。大切な時計を持ってきて下さい。』
店内に入ると、中央には、高さ1.9mもある置時計がドッシリ。ドイツのキンツレ(今ではもう存在しないメーカー)製だそうで、明治後期から大正初期のものだとか。当時、この1台で豪邸が建てられたという程の値打ち物。今では骨董品として値段の付けようが無い。(勿論、各人の価値観にもよるものでもあるが。)
さて、この時計、チャイムが何とも言えぬ美しい音色なのだ。二代目梶山秀人さんは、わざわざ聞かせて下さったのだ。チャイムは15分で1回、30分で2回、45分で3回鳴り、定時で4回と時報を打つ。危うく吾輩つられて、ニャーゴロと叫ぶところだった
アンティークな時計に囲まれ、その奏でるチャイムのメロディーに耳を傾けると、しばし“時”を忘れてしまう。時計店で言うのも変だが、“時”の流れがどうも普段と違うんだねぇ。チャイムは時計の中の右上の4本の棒によって、音が出される。時報は左上の4本の棒。どちらも手動によって、音を出さないようにすることも可能だ。また、この時計には3つの重りがある。これは週に一度上に上げないといけないという。梶山さんの弁によると機械、技術はドイツがトップ。第二次世界大戦中、ドイツのユダヤ人がナチスに追われ、逃亡してスイスに技術を伝授したらしい。
余談になるが、梶山さんはかなりの文学通で、シェイクスピア、キルケゴール、トルストイ、アウグスティヌスなどの古典外国文学から、井上靖、夏目漱石などの日本文学と幅広い。学生時代の先生の影響という。
『「ハムレット」は坪内逍遥の訳が一番。福田恒存が次に良い。ロシア文学は中村白葉、米川まさおの訳が.....。(中略).....毎日少しでもいいから本を読み、文を書くことを習慣にするといい。』と梶山さん。学生時代まで油絵も描いていたそうで、『好きな画家は、ユトリロ』『文学の話ならいつでも喜んでする。』と、さすが尾道人というところか。
看板から文学の話になってしまったが、奥深い尾道はやっぱりどこか違うなぁ!(1996年9月23日)

上記の文章を書き込んでからもう20数年も経ってしまった。残念ながら、今では、この看板時計は時を刻まない。
文末の締めの余談になるが、赤瀬川原平さんは、この時計屋の看板時計を正面から撮ったため、発表された写真をみると、ガラス戸に吾輩がおぼろげに写っていた。(これは吾輩にとって人生最大の喜びであった。)

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